信州民報連載
♪ ウィーン合唱演奏旅行記 ♪
長野県合唱連盟50周年記念 ウィーン楽友協会での「長野県合唱祭」にて
〜水彩画とともに〜
絵と文 山岸 明人
1、出 発 2009年 2月10日掲載
長野県合唱連盟は昨年創立50周年を迎えた。ウィーン楽友協会と提携している
長野県民文化会館が25周年ということもあり、記念事業の一環として
長野県合唱祭inウィーンを開催するべく、1年間練習を積んできた総勢約240名の合唱団員は、
音楽の神が宿ると言われている、ウィーンフィルハーモニー管弦楽団の拠点地である
ウィーン楽友協会(ムジーク・フェライン)の音楽ホール、ゴールデナー(ゴールデン)・ザールと
言われるホールでの6日夜のコンサートに向け、2009年1月4日、日本を飛び立ったのであった。
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成田 スイス航空 |
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ヨーロッパ上空 |
2、 ウィーン入り 2月17日掲載
演奏旅行コースは、ウィーン滞在のみ6日、ザルツブルグ行きとプラハ行き各8日の3コースで、
私はプラハコースを選択した。プラハコースは約80名で、スイスのチューリッヒ経由でのウィーン入りだった。
その飛行機にはオリンピックのスケルトン選手、越和宏さんが乗っていて、
お弟子さんふたりを連れて遠征ということだったが、合唱演奏のことを説明すると
「ご成功お祈りいたします」と皆に声援を送って下さった。
ウィーンのホテルはルネッサンスというピンクとオレンジを混ぜたような色のモダンなホテルで、
近くには地下鉄の駅、スーパーなどがあり、全員のウィーンでの拠点となった。
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ウィーン市内を走る路面電車「トラム」 |
3、いよいよ楽友協会へ 2月24日掲載
5日本番前日、待ちに待った楽友協会での練習である。練習といっても午前しか使用できず、
分刻みで各合唱団が練習するため、空いている時間に楽屋を覚えたり、登り降りする階段、
待機場所を覚えたりと結構忙しかった。楽友協会へは楽屋口から入ったのであるが、
さすがウィーンフィルの拠点のホールだけに専用の部屋などがあったり、
楽器を置く場所が設置されていたりと、日本のホールとはちょっと違う感じの雰囲気だった。
建物内はエレベーターなどはもちろん無く、ホールにたどり着くには、
入り組んだ狭い階段を結構登らなくてはならなかった。慣れればいいのだろうが、
初めてだとひとりでは確実に迷ってしまう建物である。
そして黄金のホール、ゴールデナー・ザールへ・・・
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ウィーン楽友協会 |
ちょっと休憩
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私鉄バーデン線 |
4、黄金のホールへ 3月3日掲載
分厚い木のドアを入るとそこはまさに金のホール。壁には金の女神の彫刻が2階を支える形で、
ずらっとステージ上まで並んでいる。ステージはウィーンフィルのニューイヤーコンサートで
見た(テレビだけど)やはり金で飾られたステージ。上にはパイプオルガンが設置されている。
天井画も素晴らしい。全体とすれば大きい印象は受けないのだが、席は1744席で3階まであり、
女神像の前にタペストリーで飾られた囲いの中にも席が並んでいる。
2階はステージまで続き横からも見れるようになっている。
サイトウキネン松本ジュニア合唱団が練習している最中だったが、すごく良く響くホールで、
どこで聴いても同じ響きを聴くことができる。ステージで歌うと残響がこれまた素晴らしかった。
何せ世界で一番響くホールと言われているのであるから。ちなみに建物内は写真撮影禁止でした。
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黄金のホール 女神像 |
5、グローブ? 3月10日掲載
楽友協会での練習の後は昼食とシェーンブルン宮殿観光。
昼食は全員が入れるウィーン市庁舎の地下にあるウィナー・ラートハウスケラーというレストランへ。
建物はお城か教会みたいな造りで大きく、レストランも相当広い。
ワインやジュースなど飲み物を頼み、成功を祈りテーブルごとに乾杯。
ひとりのウエーターのおじさんは、リンゴジュース、アカワインなどと
日本語で皆を楽しませながら飲み物を配っていた。
食事はコンソメ味のスープ、ライ麦パン、サラダ、
そしてメインディッシュは野球のグローブみたいなカツレツ。
ウィナー・シュニッツェルという牛肉をたたいて大きくしフライにした料理だが、
あまりに量がありすぎて女性はほとんどの人がたいらげるのは無理だったようだ。
ちなみに付け合わせはジャガイモ。
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ウィーン市庁舎地下レストランでの昼食 |
6、シェーンブルン宮殿観光 3月17日掲載
シェーンブルン宮殿はハプスブルク家の夏の離宮で、
1696年、レオポルト1世の時代に建設が始まり、
18世紀、マリア・テレジアの時代に完成した。部屋数は1441室あり、
周囲には庭園などがある。中はそれはそれは豪華で、
天井画で飾られた大広間や、マリー・アントワネットが幼少時代を過ごした部屋、
ナポレオンがウィーン占領中に使用した部屋などもあった。
また各所に絵が飾られており、その当時の演奏会の模様が描かれたものもあったが、
この時代にいるはずのない幼少時代のモーツァルトが
マリー・アントワネットと一緒に描かれている絵もあった。
偉大さを誇示するために描かれたということである。
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シェーンブルン宮殿(中庭側) |
休憩タイム
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ザッハトルテとウィンナーコーヒー(?) |
7、本番直前練習 3月24日掲載
6日は朝からウィーン郊外にあるヤマハ音楽教室での練習である。
さすがヤマハ、世界中で音楽の輪を広げている。グローリアからは男女各2名が参加し、
歌うステージは、中村雅夫先生指揮の武満徹の「さくら、島へ、翼」を歌う混声合唱団『つばさ』と、
和田朗先生指揮の「ウィーン我が夢の町(ドイツ語演奏)、ふるさと、信濃の国」を歌う混声合唱団『ふるさと』、
オーストリア人の男性指揮により地元男声合唱団と一緒に歌う「美しく青きドナウ(ドイツ語演奏)」のステージ。
全体練習はあまりなく、先生方は決して十分とは思っていなかっただろうが、
ここまできたらとにかく楽しみましょうと皆に声をかけて下さった。
1年間お忙しい中を全県で指導されてきた先生方には本当に心から感謝する次第である。
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楽友協会向いのカール教会 |
8、いよいよ本番 4月1日掲載
ヤマハ音楽教室での練習が終わり、一度ホテルに戻り、
旅行会社が手配した3,000円というびっくり物の助六風海苔巻き寿司(日本では400円位)を食べ、
ステージ衣装の黒のシャツに着替え、6時いざ楽友協会へ。7時半開演。
順番は女声「しなの」「そよかぜ」、「サイトウキネン松本ジュニア合唱団」、混声「つばさ」。
休憩をはさみ、女声「からまつ」、地元男声、混声「ふるさと」、混声合同の順番である。
楽屋で発声練習後ステージ袖へ。大きな拍手が聞こえてくる。
SKジュニア合唱団のステージ、沖縄民謡を、民族衣装で踊りながらの演奏、かなり好評のようだ。
そしていよいよ私の出る「つばさ」のステージだ。
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サイトウキネン松本ジュニア合唱団 |
再び休憩
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ホテルのレストランに飾ってあったカラフルなピクルスの瓶詰め
食事中ナプキンにデッサン (そのうち絵になるかな) |
9、無事演奏終了 4月8日掲載
金の女神像の脇を通りステージへ。木のステージはチェロやコントラバスの
エンドピンを刺した跡でガタガタになっていて長い歴史を物語っている。
会場は明るく、客席は3階まで満席で、もちろん外人さんばかり。
1曲1曲大きな拍手をいただきこのステージは成功の内に終了。
そして「ふるさと」のステージも大成功。
信濃の国を歌い終わった残響は今でも耳に残っている。
最後に地元男声合唱団と一緒に、彼らの指揮者の元、
オーストリアの第2の国歌とも言われている「美しく青きドナウ」をドイツ語で演奏。
鳴り止まない拍手の中、演奏会は大盛況にて終了しました。
ホテルで家内とワインで乾杯をし、緊張もほぐれ、この日はぐっすりと眠りにつきました
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クリムトの絵で有名なベルベデーレ宮殿(下宮殿) |
最終話、帰国 4月14日掲載
7日はフリーで、グローリアの仲間と美術館や宮殿など、路面電車トラムに乗り観光。
そして8日は300キロ離れたプラハへバスで移動。途中、チェコ・南ボヘミア州の世界遺産で、
モルダウ川(ヴァルタヴァ川)に沿ってつくられた街、チェスキークルムロフを見学し、
9日はマイナス10度という寒さの中、旧プラハ市街、モルダウ川にかかるカレル橋やプラハ城などを見学。
そして10日、再びチューリッヒ経由で日本へ。快適なフライトの中、12時間後成田に到着。
8日間の演奏旅行はあっという間に終わり、再び日本でのいつもの生活に戻ったのでした。
素晴らしい体験をさせていただき、長野県合唱連盟の理事長さんはじめ、
事務局の皆さんには心から感謝申し上げる次第です。
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チェスキークルムロフ城 |
他絵・デッサン
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チェスキークルムロフ道路沿いの土産屋 |
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チェスキークルムロフ広場入口 |
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<ウィーンからチェコに向かうバスの車窓から> 様々な教会・民家に興味をそそられた |
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バスの車窓から |
チェスキークルムロフの洞窟レストラン |
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帰りの機内食 鶏の炊き込みごはん |
最後までご覧頂きましてありがとうございました
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